天神橋筋商店街・大阪くらしの今昔館や、たこ焼き「わなか」を楽しむ。
大阪の歴史と食を楽しむ。
はむ(@_ham29_)です。実は昨年10月に大阪・京都を三泊四日で旅行していたんですが、未だに投稿できていませんでした。ぼちぼちアップしていきますね。
Jetstarで関空へ
今回はJetstarを利用して大阪へと向かいました。新千歳から、往復で12,260円でした。頑張ればもっと安い日もあったけど、ちょっと妥協しちゃいました。
LCCなので座席は狭いけど、2時間ちょっとのフライトなので、なんとか耐えられます。明石海峡大橋が見えてきました。
「大阪くらしの今昔館」へ
無事に関空に到着。最初の目的地である、大阪くらしの今昔館へと向かいました。
江戸時代の大阪
9階のフロアでは、江戸時代の大阪の町並みが再現されています。
30分500円の着物体験が人気のようで、着物姿の方もたくさんいました。
おもちゃ屋さんでしょうか。置物や、でんでん太鼓がありますね。
こちらは本屋さん。
江戸時代のトイレ。こんな感じだったんですね。閉所恐怖症には耐えられそうにない狭さだ。というか扉閉めたら真っ暗??
明治・大正・昭和の大阪
8階のフロアでは、明治・大正・昭和の大阪についての展示がありました。
1870年代の大阪を再現した「からくり錦絵」。Photoshopのレイヤーみたいな感じで、何層も絵があって、重なるイメージです。心斎橋に馬車が通っていますね。
こちらは、昭和31年(1956)の古市中団地(ふるいちなかだんち)。
戦災復興とこれに続く高度経済成長に伴う都市への人工集中に対応するため、数多くの公共住宅団地が建設されました。
なかでも、昭和28年(1953)度から建設がはじまる城東区古市の市営古市中団地は、住戸・住棟計画、配置計画のみならず外構や色彩にも新しい試みが行われ、さらに学校や道路、公園なども計画の対象とされるなど、その総合的な計画手法からモデル的住宅団地として注目されました。
設計にあたっては、ヨーロッパのまちづくりが参考にされました。水洗トイレやバルコニーなど近代的設備を備えた各住戸では、新しいライフスタイルが繰り広げられ、周囲からはあこがれの住宅として見られたといいます。
こちらは、昭和23年(1948)の城北バス住宅(しろきたばすじゅうたく)。バスに生活しなければならない時代があったようです。
第2次世界大戦の度重なる空襲によって、大阪市の中心部は広範囲にわたって焦土と化しました。焼け出された人々の救済のため、大阪市は仮設住宅を建設し、学校や寮、兵舎などを住宅に転用しました。そのひとつに廃車になった木炭バスを利用したバス住宅があります。
旭区豊里町(当時)には、26台のバスをめがね形に配し、中央の空き地に炊事場や洗濯場、便所などを設けた大阪市営の城北バス住宅がつくられました。バスの内部は約2坪半と非常に狭いため、各人が建て増しするなど独自の住空間をつくり出していました。家賃が安く、隣近所のつながりも深かったことから住み続ける人も多く、城北バス住宅は昭和26年(1951)まで存続しました。
昭和13年(1938)の空堀通という商店街には、うどん屋さんや座布団屋さんがあります。
瓦屋根の住居の上には、洗濯物を干すのに便利な屋上がありますね。
最後は、「通天閣とルナパーク」。新世界にはルナパークという遊園地があったそうです。
天神橋筋商店街を散策する
大阪くらしの今昔館を楽しんだあとは、天神橋筋商店街を散策しました。まずは今昔館のすぐ近くにあるたこ焼きの「わなか」に行ってみました。
店員さんに「塩をかけても美味しいんだよ」と言われたので、ソースと塩の半々にしてもらいました。確かに、塩も美味いぞ! なんだか、ポテチののり塩味に似ているような気がしました。普段はあんまりたこ焼きって食べないんだけど、ここのお店のたこ焼きはめちゃ美味しかった。8個あったたこ焼きはあっという間に無くなってしまいました。
再び商店街を散策。マンホールに大阪城が描かれていました。
スーパー玉出、ネットで見たことはあったけど、実際に見ると派手さが極まっています。パチンコ屋にしか見えない。
頭の上には鳥居が並んでいました。
人気のコロッケ「中村屋」。
「ごぶごぶ」シールが貼ってありました。
数分並んでようやく注文。今回はコロッケ1個頼みました。
すごく甘みのあるイモで、衣はザクザク。とっても美味しかったです。
次回・大阪夜景とグリル北斗星のトルコライス
さてこのあとは大阪の夜景を眺めたあと、グリル北斗星の名物トルコライスを食べました。次回もお楽しみに。
今回のカメラ機材
今回の旅行は、標準ズームレンズ1本に絞って撮影しました。
基本的にはこの1本でどうにかなります。
広角で収めたいときは、サブカメラのGoProで。